それは『蒼黒戦争』が終戦を迎えしばらく経った、三月を間近に迎えたある日の事。

士郎への所用を済ませた蒼崎青子は名目上、自分の使い魔であるメディアから『折り入って頼みがある』との事で久しぶりに彼女と再会していた。

「確か貴女、三咲市出身だったわよね」

開口一番、唐突にそんな事を聞くメディアに

「ええ、そうよ。まあ、ここ数年は数えるほどしか帰っていないけど。それがどうかした?」

「こう言った事を頼むのは・・・本当に・・・本気で不本意なんだけど・・・頼みがあるのよ」









数日後、青子はメディアの夫である宗一郎と共に三咲市に久しぶりの帰郷を果たしていた。

「申し訳ありません。お手数を掛けます」

「別に良いわよ。私も久しぶりに帰ろうと思っていたし。渡りに船って奴だから気にしないで。じゃあ、まずは学校を案内するわね」

青子の台詞からわかる様に別に青子は宗一郎を伴って決して色気のある話で三咲に戻って来た訳ではない。

万に一つそんな事になれば神代の魔女と消費、消滅を司る最新の魔法使いの大決戦になる事は明白である。

そんな事になれば止められる人材などそれこそ両手で数えられる程度しかいない。

実は宗一郎に転勤の話が持ち上がっていた。

本来であれば穂群原は私立である為、公立と違い転勤など皆無の筈なのだが、三咲市にある私立校に努めていた倫理教諭が一身上の都合で急遽退職が決まり、昔から交友のあった穂群原に在職する倫理教師・・・すなわち宗一郎が緊急措置として一年間だけだが、その高校に転勤する事が内定し今の内に単身赴任先のアパートや新しく勤める事になる高校の下見に訪れ、地元で土地勘のある青子がその案内役を頼まれたと言う訳だ。

本来ならばメディアも一緒について行くはずなのだが、運が良いのか悪いのか妊娠が発覚。

メディア本人は生前に幾度か妊娠出産の経験があるが、受肉してからは当然だが初産である為、安産と育児の為に泣く泣く冬木に残る事になっている。

宗一郎との愛の結晶を宿した事が判明した時には、我が世の春とばかりに歓喜を爆発させていたが、それによって宗一郎と三咲市に同行出来ないと判るやこの世の絶望を一身に背負ったように沈み込んでいたのは余談である。

青子に先導されて、宗一郎は三咲市の中で当時と変わらず自然と都市が微妙なバランスで両立する三咲町の丘を登っていく。

「しっかし、相変わらずと言えば相変わらずよね」

そう言う青子の視線の先には懐かしき母校、私立三咲高校がある。

その面影は青子が在学していた当時と何も変わりはしない。

そう、此処が宗一郎の春からの勤務先となる予定の学校だった。

「何の因果かしらね。懐かしき我が母校にこんな形で再度伺う羽目になるなんて」

そんな事を言いながら頭を掻く青子。

彼女にとってはここでの三年間、特に高校二年の冬からの一年半程の・・・特に十一月から十二月の僅か一月の・・・期間は魔術師としての自らの道を決定付けさせる出来事が満載しており、その当時の思い出は今としては何物にも代えがたいものになっていたのだから。

当然だが、卒業生とは言え今では部外者である青子が中に入れる筈もなく、校門近くで何をするでもなく佇んで挨拶の為校舎内に入っていった宗一郎を待っている。

「お待たせしました」

宗一郎が戻って来たのはそれから五分後の事だった。









挨拶も終わった所で次はアパート探しに入るのだが、商店街まで戻って来た所で青子は懐かしい顔と再会した。

「あれっ、もしかして・・・蒼崎か?」

「?あら、草十郎じゃない。久しぶりね」

商店街でばったりと出くわしたのは、当時とほとんど変わらぬ、暢気そうな風貌と人畜無害を擬人化したような人の良さそうな線の細い青年。

青子の高校在学中に転校してきた青年、名を静希草十郎と言う。

そして青子の魔術師としての顔を知る数少ない向こう側の人間であり、青子にとっては様々な意味で縁の深すぎる人物だった。

最初の出会いからして、校内案内の役目を当時生徒会長だった青子は教師より押し付けられると言うある意味奇妙な出会いから始まり、その後、ふとした事で魔術行使を見てしまった(本人は当時それがありふれたものと誤認していた)事がきっかけで青子と当時の同居人に殺されかけ、その後、紆余曲折の末に青子が住み込んでいた洋館に同居人と共に監視の名目で共に住まわせて・・・青子にとっては大きすぎる借りを未だに持っている人物。

最も貸している方はそんなものは微塵も意識してもいないのだが。

ちなみに、同居生活が始まる当初、草十郎の記憶は消される事が前提であったのだが、同居を始めてほぼ半年に

『あんたを見る限り、誰かに話す危険性は無いと判断したから記憶を消すのは無し。ただし、誰かに話したらその時は容赦なく死んでもらうから』

そんな青子の宣告で結局草十郎の記憶は消される事なく、高校卒業まで同居を続ける事になった。

そして草十郎は律儀にもその秘密を誰にも話す事、無くその胸に収め続けている。

おそらく比喩抜きで墓場まで持っていくつもりなのだろう。

「本当に久しぶりだ。いつ戻って来たんだい?」

「ついさっきよ。それにしてもあんた相も変わらずね。まだフリーター生活?」

高校卒業と共に都内の大学に進学した青子に対して草十郎はフリーターとして三咲市に残る道を選んだ。

「いや、フリーターと言うよりはこの商店街全体の店員として雇われた」

「へ?」

草十郎の言葉を簡単に言うのならば、いささか信じられないのだが、彼は今商店街全ての店で働いており、日毎で働く店がころころ変わっているらしい。

「・・・・・・」

あり得ないと言いたいのだが、この今も昔もさして変わらぬ世間知らずの朴訥ならあり得るかと思い、あえて何も言わなかった。

何しろ学費から生活費、果ては監視の名目で住まわされたにも拘らず、強制的に払わされていた家賃まで賄う為に、高校当時からバイトと学業このバランスが明らかにおかしい生活を送っていたのだから。

「本当相変わらずよねあんたは・・・でもまあ、あんたが何も変わっていないって事が分かっただけでも良しとしますか」

聞く人によっては皮肉にも聞こえるのだが、青子の中では良しとする所か、どれだけ時が移ろっても、あの当時と何一つ変わらない事を嬉しく思っていた。

今や『ミスブルー』と呼ばれ、協会では厄介事の代名詞とみられ、自分を見ただけで恐れおののく魔術師が大多数を占める中で、自分と対等に話し合える人物などそう多くはいない。

ましてや魔術師としての自分を知って尚そんな事が出来る一般人など両親を含めても数えるほどしかいない。

教え子である志貴と士郎はそこに入るが、師であると言う意識が先立つのか、草十郎ほど気さくに話しかけはしない。

そう言った意味では、静希草十郎はおそらくこの世で最も稀有な人物と言って良かった。

「それで今回はどれ位いるんだい?しばらくいるのなら久しぶりに有珠の所に行かないか?」

「うーん、それも良いんだけど・・・ま、いいか。久しぶりに会うのも悪くないわね」

そこまで話が進みかけた時、背後の人物が口を開いた。

青子ではなく、草十郎に。

「・・・やはり草十郎か」

「??・・・あれ?もしかして宗一郎?」

「久方ぶりだな」

「ああそうだね。君も降りて来たんだ」

「六年前にな。お前の事だからこの世には既にいないだろうと思っていたが・・・まだ生きていたか」

「ああ、周りの人達に助けられてどうにかやっているよ」

「そうか。しかし、また会えるとは思わなかった」

「ああ、俺もまさか君に会えるとは思わなかったよ」

「そうだな・・・それよりも草十郎、仕事は大丈夫か?」

「えっ、ああまずい、まだ仕事途中だった。じゃああまた会えたら何処かで」

「ああ」

「蒼崎、また何があったらここに来てくれ、どこかの店にいる筈だから」

そう言って草十郎は返事を聞く事無く、商店街の人ごみの中に消えて行った。

「・・・そう言えばそうだったわ。私も随分と腑抜けたものね」

誰ともなくそう呟くのは青子。

「あんた、あいつと知り合いなの?」

敵を見るような容赦のない視線を宗一郎に向ける。

「・・・同郷の者です」

その視線に沈黙も虚構も通用しないと悟ったのか短く一言でそう告げる。

「やっぱりか・・・そうよね。あの時自己紹介で、あんたの名前を耳にした時に気付くべき・・・最低でも不思議に思うべきだったわ。本気で腑抜けたわ」

予測通りの答えを聞き視線を和らげ、青子は自分に呆れるようなそんな声を発する。

葛木宗一郎、静希草十郎、苗字や名前だけならまだしもフルネームが恐ろしいほど似通っているものね。あんた達」









白犬塚の丘の上には魔女の住む幽霊屋敷がある。

今も消える気配のない三咲町の都市伝説はある意味真実を言い当てていた。

丘と言うよりも鬱蒼と生い茂る森と呼んだ方がふさわしい、この場所にひっそりと建つ屋敷には比喩抜きの正真正銘本物の魔女がいる。

久遠寺有珠。

それが幽霊屋敷に住まう魔女の名であり、世界的企業グループであり日本はおろか世界でも指折りの財閥、久遠寺財閥の令嬢。

そして青子にとっては駆け出しの頃の相棒にして教師であり当時の同居人でもある深い縁の人物でもあった。

そんな屋敷に青子は久しぶりに足を踏み入れていた。

宗一郎を伴って。

「久しぶりね有珠」

「ええ」

連絡を受けていたのか突然の訪問にも驚くでも喜ぶでもなく、互いに表情を変える事も無く再会の挨拶もそっけないものだった。

しかし、二人に言わせれば、まだこのような関係でいられる事の方がむしろ驚きだった。

同居を始めた当初、二人の関係は敵ではないものの味方でも仲間でもなく、利害が一致しているから協力しているだけのそれで限りなく敵に近かった。

ミスがあれば責め立て、隙があれば攻撃し、機会と互いの覚悟が合致すれば殺し合う事も躊躇わない筈だった、蒼崎青子と久遠寺有珠の関係。

それが劇的に変化を遂げたのは静希草十郎の存在だった。

彼の朴訥とした人柄に感化されたのか、それとも毒気を抜かれたのかそこは二人にも判らないが、判っている事は殺し合うそんな確定された未来図は修正され、今でもそれなりに友好的になおかつドライなつかず離れずの関係を続けている事だけだった。

「それにしてもまさかここに他人を連れて来て良いってどういう風の吹き回しよ。今でも他人なんて滅多に入れないんでしょう」

有珠の自分のものに対する執着は、青子から見てもいささか常軌を逸している。

それ故に自分のものであるこの屋敷に肉親ですら入れる事はめったになく、青子、草十郎が同居してきた当初は憤懣やるかたないそんな心境をどうにか内心に留めていた程だ。

「屋敷の掃除をお願いするために静希君を時々呼んでいるけど」

「それでもあいつだけなんでしょう。相変わらずねあんたも、この屋敷も。あの頃と全く変わりないじゃない」

通された居間を見て何一つ変わりの無いその風景に懐かしさと呆れを視線ににじませながら言う。

他人が入る事を極端に忌み嫌う有珠の性格を考慮し高校時代から青子のなじみである喫茶店、『黎明』での待ち合わせを提案したのだが、他ならぬ有珠本人から屋敷での待ち合わせに変更されたのだ。

「他人を入れるのも少し苦痛だから黎明でも良かったんだけど、あまり口外出来る話にはならないと思うから」

有珠の言葉に青子もなるほどと頷く。

「それにしても青子、改めて言うまでもないと思うけど迂闊ね」

何になどとは言わないし言われなくてもそんな事は当の本人がよく判っている。

「全くねあんたの言う通り、本気で迂闊だったわ。まあ言い訳させてもらえればあの時は『六王権』の事で結構一杯一杯だったし、正直この事は後回しされちゃったしね。さて、あまり無駄話もなんだし、本題に入りますか」

そう言って青子と有珠の視線は宗一郎に向けられる。

「・・・草十郎の事ですね?」

「そう、あいつが山でどんな生活を送って来たのか、知っている限り教えてほしいのよ」

「本人には」

「大まかな事は聞いたけど詳しくは」

「・・・何故それを?」

「・・・純粋に知りたいってのもそうだし、今のままだと結構不公平だとも思うのよ」

「不公平?」

「ええ、私も有珠もあいつの事をほとんど知らない。でもあいつは私と有珠の事を全て知って、それでも変わる事無く接している。知らなくても良いのかもしれないけど、そう言った上っ面な付き合いは少なくとも私には出来ないから」

「青子、私をのけ者にするのは止めて頂戴、私もそう言った付き合いが嫌いな事貴女がよく知っていると思うけど」

蒼崎青子、久遠寺有珠、静希草十郎、この三人の関係をまとめるならばこの洋館で短い一時期を共に過ごした友達以上、だが、恋人とかそんな関係に発展する要素は欠片もない、言ってみれば戦友と言った関係だった。

文字通り死線を掻い潜った仲と言える彼女達にとって草十郎は自分達の事を良く知っているのに、自分達は草十郎の事を良く知らないと言うのは著しい不公平だと二人は思っている。

「・・・」

そんな彼女達なりの真摯な思いが伝わったのか短い沈黙の末に宗一郎は静かに頷き

「判りました。私が知る範囲でも良いならお話ししましょう」

承諾したのだった。









「私とあれが過ごし、育てられていた場所、あそこはどう言った集まりがどうして作り上げたのか、それは私にも判りません」

宗一郎の話はそこから始まった。

「ただ、判っているのは親もなく兄弟も無い我々はそこに発生したと言う事だけです」

何でもない口調でありながら宗一郎の口から発せられた『発生』と言う単語に青子も有珠も眉を顰める。

「それって孤児が集められたって事?」

「それも判りません。私もあれも物心ついた時からあそこにいた、それしか判りません。そして物心ついた時から我々に課せられた命題はただ一つ、与えられた一つの芸を極める事だけ、それを命じられました。私の場合は蛇と呼ばれた技法を、草十郎の場合はまた違った技法をです」

「違う技法・・・?」

「私も詳しくは知りません。与えられるそれは人によってまちまちなのですから。ただ、漏れ聞く所によれば鏡・・・いえ、魔鏡・・・そう呼ばれていたようですが」

「魔鏡ね・・・」

思い出すのはかつて姉、蒼崎橙子と繰り広げた三咲の地を巡る戦いの事。

彼女が連れていた規格外の反則である金狼、ルゥ・ベオウルフによって敗北・・・すなわち死・・・の一途を突き進もうとした、青子と有珠の未来を変えたのは他ならぬ草十郎だった。

彼は一度だけとはいえ、幻獣の領域にまで達する無敵の人狼をあろう事か徒手空拳で打ち倒した。

『あれは完全に相性の問題よ』

高校卒業と同時に三咲市を出た青子は、それからしばらくして偶然橙子と再会したのだが、橙子はあの時の戦いをこう評した。

『確かにベオ君の強さは、あの時、あの場にいた全員の中でも群を抜いていたわ。だけど、ベオ君を食い物に出来る例外・・・つまり草十郎君の事だけど、彼が文字通り神風の様に乱入してきた。しかも、あそこでベオ君と相対した時から、呼吸から、癖、おそらくは意識までベオ君と完全に合一化して、おまけにベオ君の動きまで全て読み切った上で、覆る筈のない勝敗を強引に覆る事の出来る様に事態を運び、僅かな隙をついてベオ君の弱点を作り上げてベオ君を打倒してのけた、しかも自分の身体が取り返しがつかないほど壊れる事も恐れずにやってのけたのよ。あれは彼の才能によるものじゃない。あれは私達ですら二の足を踏みたくなるほどの極限状態とも言える過剰な修練をそれこそ心が摩耗するまで繰り返しやった結果、言うなれば執念や怨念と同類よ』

橙子の言葉が全て真実だと仮定するならば草十郎が得た技法が魔鏡と呼ばれるのも頷ける。

あの時、ベオと対峙して一体どれだけ時間的な猶予はあっただろうか。

そんな短い時間でベオの呼吸、動き、癖まで読み取るなどそれこそ本人にでもならなければ不可能だ。

そして・・・

「だから、あいつあれだけ自己って奴がなかったんだ」

だいぶましになってきたが今でもそうだし、出会った当初は理由なき反感を覚えるほどの自己の無さも当時は異界レベルの山奥から来たものかと思ったが橙子の話が真実ならその理由もわかる。

むしろまだあれだけの人間味があった方が驚きだ。

「でも・・・そんなものを身につけさせて・・・何をやらせようとしていたの?」

有珠の疑問ももっともな事だ。

このようなもの本来であれば何の役にも立たない。

むしろ不要である筈。

だが、有珠の発した言葉は疑問ではなく、確認の意味合いが強い。

有珠も青子も清廉潔白ではない魔術師。

草十郎と出会う前も、出会ってから彼の眼の届かない所で数多くの命を手に掛けてきた。

その二人が草十郎達は山でどうしてそのような修練を積んできたか?

そんな事は手に取る様にわかる。

ただ確認したかっただけだった。

「・・・殺しを行わせるためです」

有珠の確認の言葉に宗一郎はこれ以上無いほどの明確な言葉で応じた。

それにやっぱりと表情を歪ませる青子と無表情の中にも不快の色を滲ませる有珠。

「・・・あそこでは私も草十郎も道具でした。殺しを行わせるための道具を作り出す工場、それがあそこの正体でした。常識や教養も本来であれば不要でしたが、あくまでも人として擬態する為にはそう言ったものは不要でも取り付けなければならなかった我々を造った者達からすればそれは苦渋の決断だったでしょう」

他人事の様に淡々と口を開く宗一郎。

「じゃあ名前も」

「ええ、名前が無ければ教養や常識以上に人としての擬態に相当な不都合が生じます。それ故に名前も与えられますが、それを考える労すらも惜しんでいました。苗字も名前も読み方や漢字を少し変えただけである大差のないそれを、無造作に押し付けられ、我々はその名を名乗る事になります」

「だからあれだけ似通った名前になる訳か・・・恐れ入ったわ。名前すら無駄の一言で片付けられるなんて正気の沙汰じゃないわね」

呆れの感情を言葉にすればこうなるだろうと思うほどの乾いた感想を述べる青子。

「そうして、その用途が使われた者は順次山から下り、仕事を遂行しますが、そこには一つ絶対の掟がありました」

「・・・なんなの?」

今までの話の流れから推察するに多分ろくな掟ではないだろうと、二人は推察するが惰性で口にしたのか、有珠があえて尋ねる。

「一人一殺、一人を殺した後、一切の例外なく行った者も速やかに自害する事。いかに具凡な凡愚であろうと輝ける才に溢れていようとこの掟に従い標的を始末した後は自らの命も絶ちます。私も仕事に使われ人を殺めました」

「でも、あんたはまだ・・・」

青子の問い掛けに無表情を貫いていた宗一郎は初めて表情を変えた。

「・・・ええ、今でも判りません。あの時自分の命が惜しくなったのか、それとも別の理由があったのか不明ですが、結局私は自害を止め、降りる際に与えられた身分を利用し今でもこうして生きています」

自嘲じみた笑みをかすかに浮かべる。

「じゃあ・・・静希君も・・・いえそれは無いわね」

有珠がもしやと思い口を開くが、それを本人が否定する。

先に述べたベオとの戦いの折に青子は重傷を負い治療を受けたがその様子を見た草十郎は嘔吐し、倒れた事を思い出したのだ。

青子もそれを思い出したのだろう、渋い表情を浮かべるが、そこに苦い表情も加えた。

断片的に草十郎が山での生活を語った時にも言っていた。

『鳴けない鳥はいらない』と。

『今まで疑いもなく出来ていた事を意味を知っただけで出来なくなったものはいらない』と。

「ええ、あれは殺しを一度も行ってはおりません。不幸な事にあれの心は周囲の予想以上に強く柔軟でした。完成し、いよいよ道具として使われようとした直前、自分達が行っている事の意味を知っしまった。知った瞬間、あれはもう道具になる事が出来なかった。例え完成していようとも、そんな基本に疑念を抱く、そんな不良品になど用は無い。それ故に草十郎は山から放逐されました。せめてもの情けなのか戸籍と新たな生活に必要な最低限の手配のみはしたようでしたが。後の事は私よりもお二人の方がよくご存じだと思いますが」

暫くの間、重苦しい沈黙が流れていたが、それを吹き飛ばすように

「それにしても・・・今まで聞いた限りじゃあ、七夜とは百八十度違う組織なのね」

青子が呆れの中にも悪い意味で感心したと言わんばかりに嘆息する。

一族の絆を何よりも重んじ、暗殺者の一族にも拘らずどこまでも人間らしい温かみを持った七夜とはあまりにもかけ離れた集まり。

どちらが異常なのか判断に困る所であるが。

「そうですね。黄理殿が言っていましたが、七夜は一族の各々が持つ超能力を後世に残すために生き残る事を重視し、また力を保持する為近親での交配を続け、それに釣られるように一族の結束も強まったと言っていました。七夜とあそこの差はそこでしょう、貴重な人材と一族を保持する為、人を大事にするしかなかった七夜と、放っておいても自然と道具となるものが発生するが故に人を使い捨てする事に躊躇いもなかったあの場所。それがこれほどの差を生じさせたのでしょう」

そう言って話は締めくくられた。









話しが終わった時には既に夕方どころか夜の帳が降りようとしていた。

当然だが目的の一つである単身赴任用のアパートを探すにはもう時間も遅い。

しかし幸か不幸か、宗一郎は一日で諸々の目的を達成する事は不可能と判断していたのかのか、あらかじめホテルを予約しており、今日はそこで一泊すると言う事なので翌日駅前に集合する旨を青子から提案されそれを了承した後、宗一郎は久遠寺邸を後にした。

残された青子と有珠は胸に残る重苦しいものを吐き出すように息を静かにゆっくりとだが、長く吐き出す。

そうしなければ会話も呼吸すらも出来ないと言うように。

「・・・さすがにヘビーだったわね」

青子の言葉は重みがあった。

二人共外道に堕ち果てた魔術師は飽きるほど見て来たし、青子に至っては『蒼黒戦争』であらゆる人間の闇を見て来た。

それ故に内容自体はそれほどでもし、草十郎の断片的な話から憶測は出来ていたが、明確に何よりも自分達がよく知る人物がその対象となるとさすがに平静を保つのは難しかった。

「・・・静希君の心が強く柔軟だった・・・」

有珠も思う所があったらしく静かに何かを惜しむように宗一郎の言葉を呟く。

そして誰にともなく疑問を口にした。

「・・・どっちが」

「??」

「どっちが・・・間違っていたのかしらね・・・静希君と彼が育った場所の」

「・・・」

この疑問は久しぶりに聞く。

かつて青子は他ならぬ草十郎本人からそれを尋ねられた。

間違っていたのは自分だったのかと。

疑問に思わなくても良い事を疑問に思ってしまった自分だったのかと。

しかし、青子は在り様はあの時から変わっていない。

たとえ本人の疑問でなくともその答えは決まっている。

「さあね。私には答えられないわ」

あの時と同じ、ぎりぎりの妥協点の答えを口にする。

そっけない言葉だが、有珠も納得したように頷く。

「そうね。私も答えられないし、答えたくもないわね」

答えたくもない、その言葉の意味を察したのか青子は意地の悪い笑みを浮かべる。

「昔に比べて素直になったじゃないの有珠」

「あなたは昔と変わらずだけど」

「失礼ね。これでも少しは成長しているわよ。あいつがいなきゃお互い生きていたどうかも判らないんだし」

「そうね、静希君が放逐されたのだからこそ、今の私達がいるようなものね」

互いに殺し合っていたかベオに食い殺されていたか。

その未来図を大きく変えた草十郎には、言葉にも表情にも出さないが今では二人とも感謝していた。

「有珠、今日は」

「泊まるんでしょう、久しぶりに」

「ついでに草十郎も呼びますか。昔に戻って三人でわいわいやるのも悪くないんじゃない?」

「・・・そうね。たまには良いかも知れないわね。確か静希君明日は仕事休みらしいし」

「なら奢らせよう、あいつに」

「趣味悪いわよ青子、強引に呼びつけておいて奢らせるなんて」

「冗談よ、さすがにそこまで非道じゃないし」

「・・・そうだと良いけど」

今の間を問いただしたい気分だったが、それよりも草十郎を呼ぶ事を優先したのだろう。

「じゃ、ちょっと行ってくるわね」

久遠寺邸を飛び出す青子。

「・・・今夜は騒がしくなりそうね」

それを見送った後、そう呟く有珠。

だが、その表情には嫌悪は無く、むしろ懐かしさに満ちていた。

この屋敷が最も賑やかで、最も安らげたあの時期に一日だけでも戻れるのだから。

そして有珠の予感は正しく、その夜は久しぶりに安寧に満ちた空気に久遠寺邸は包まれた。

第五魔法の持ち主たる最新の魔法使い蒼崎青子、現代に生きる最後の魔女久遠寺有珠、そして殺人の道具として造られながら不良品とみなされ捨てられるも、二人の行く末と未来を大きく変えた静希草十郎。

三人は賑やかに一時の再会の宴を楽しんでいた。

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